『羊の葉結み』に投稿されている『グシャトウ』をめぐって、連夜、友人達とチャットをしているのですが。
私は、その作者さんの小説とは相性が悪くて、表面に書かれているものは読めるのですが、その奥は読めません。
その作品が小説であるのか詩であるのか、という話を一昨日行いまして、昨夜は、その続きから、小説とは何か、という話をしました。
皆さんにとって、小説とは何(何が「小説」たらしめているのか)でしょうか?
昨夜、面白いなあと思ったのは、それぞれの考えていることが違っていて、そして、それらに、なるほどなあ、と頷いている自分がいたことでした。
私にとって小説とは。
起承転結(または序破急)で構成されていて、テーマがあって、物語があること。
話は少し飛びますが。
手紙や遺書は小説ではない。
最近、野口英世の母の手紙を読んだり、海難事故にあわれた方の遺書を読んだのですが、読者の心を打つことはできても(物語や起承転結があっても)、小説ではないと思います。
それは、一人称で書かれていて、語りかけの相手が読者である(と錯覚できる)からだ、と私は結論づけました。実際には身内や知人に宛てたもので読者に宛てたものではないのですが。
手紙というと、『あしながおじさん』を思い浮かべるのですが、これは、主人公ジュディがあしながおじさんに宛てて書いている手紙であり、手紙形式の小説です。読者に宛てたものではないし、自分(読者)に宛てられたものであるという錯覚も起きない。
えーと。
説明が下手なんですけれど、理解できます?(^^ゞ
羊に投稿されていた作品を小説ではないと感じたのは、主人公の語りかけの相手が自分だと思ったから、と思い至りました。
私は頭が固いというか、オーソドックスなものから逃れられないというか、まあ、凡人なのですけれど。また、読書量も多くないし、読書傾向も決まっています。頭の回転が良いとは言えないし、とても狭い範囲でしか物事を考えられないのですが(と、言い訳を。きっと私が知らないだけで例外はたくさんあるだろうから)。
羊に投稿された作品を小説であるとか詩であるとか、分けるのはどうでもいいと思います。
それぞれが小説だと思えば小説だし、詩だと思えば詩だし。
(こんなことは鍛練場では言えません。「小説とも詩ともつかないものを書いてみました」みたいな作品が投稿され、それが完成度の高いものであればいいのですが、そうでないことの方が多いので)
自分が今とても気になっているのは、別な所にあって。
以前、二人称小説を書いて失敗したのですが(最後で一人称になってしまった)。
羊の投稿作品が、二人称の対極にある一人称ではないか、と思ったのです。通常の一人称ではない。
主人公の語りかけの相手は自分(読者)であると思ったからです。これには異論もあって、語りかけの相手は作中にいる、と、ある友人は言いました。
この一人称で書いてみたいと、ちょっと思ってしまいました。
うーん。詩や手紙にしないで、書けるのかなあ。