ごくごくたまに慎ちゃんは怯えたウサギになる。不安や弱さを硬く丸め小さな玉にして躯の奥に押し込める。誰にもわからないように、外に溢れださないように。でも、躯の周り、高さ一センチくらいの所にある空気が微かに震えている。私にはわかる。私に共振するからだ。空気は、ふるふると、ちりちりと、ぴりぴりと、その時によって震える音は違う。震えの切っ先が鈍い時も鋭い時もあって、鋭い時は慎ちゃんの痛みも伝わってくる。
共振した時、私は慎ちゃんをギュッと抱きしめたくなる。抱きしめたことはないけれど、抱きしめたいけれど、抱きしめることはできない。だから、大抵の場合は慎ちゃんの手をギュッと握る。慎ちゃんの震えが止まるように願い、私が慎ちゃんの一番近くにいることを伝えるために。
私は十五歳、慎ちゃんは三十一歳。今までもこれからも、私は慎ちゃんより年下だけれども。
駅裏にあるレストランで、私はオムライスを、慎ちゃんとママはパスタを注文した。私の五歳の誕生日で、私と慎ちゃんが初めて出会った日だ。慎ちゃんは濃紺のスーツにネクタイという、今思えばリクルートスタイルで、髪の毛もビシッと七三に分けていた。緊張していたんだろうな。ママは頬を薔薇色に染めて、慎ちゃんを紹介した。
「牧野慎一さん。ママ、慎一さんと結婚するの。慎一さんは理沙の新しいパパになるのよ」
子供だった私はママの言葉に混乱した。
パパはお仏壇の中にいて、居間や寝室にはパパとママ、私の三人で写っている写真が飾ってある。写真の中にいるパパが本当のパパで、他の人がパパになったら、パパはパパじゃなくなるのだろうか? パパはいなくなっちゃうのかな。
いろんな気持ちが洪水のように押し寄せてきて、勿論、今のように順序だてて考えたわけではなくて、自然に涙がぽろぽろと溢れてきただけなんだけど、慎ちゃんはすぐにわかってくれたみたいだった。
「僕のことは慎ちゃんって呼んでね。理沙ちゃんのパパはちゃんと理沙ちゃんの側にいるからね。心配しなくても大丈夫だよ」
洟をすすって顔を上げると、慎ちゃんがにこにこ笑っていた。目が合うと、今度はヘン顔をした。寄り目にしたり、鼻の穴を大きく広げたり、指で目尻を上げたり下げたり。さっきまでの真面目な顔と大違いで、私は声を出して笑ってしまった。そうしたら、慎ちゃんはますますヘン顔を続けて、パスタを運んできてくれたウェートレスさんが笑いをこらえてお皿を置いていった。慎ちゃんもママも顔が真っ赤になって、慌てて水を飲んだ慎ちゃんはむせた。そして三人で笑い転げた。
ママは慎ちゃんと結婚した。教会での結婚式が終わって、新しいお家に入る時、慎ちゃんはドアを開け、ママをお姫さまだっこして玄関の中に入った。ママはびっくりして、きゃあ、と言った。理沙も理沙もってせがむと、慎ちゃんは私のこともお姫さまだっこしてくれて、くるりと一回転もしてくれた。私もママも大喜びで、きゃあきゃあ言った。
でも、三人の生活は長くは続かなかった。慎ちゃんと結婚して半年も経たないうちに、ママが交通事故で亡くなったからだ。私には祖父母も近しい親戚もいなかった。慎ちゃんのお父さんお母さんは、私を施設に入れるように言ったらしい。もともと、慎ちゃんとママとの結婚には反対していて、私のことも嫌いだったのだ。
私は部屋の隅で、ママのタオルケットにくるまり眠ったふりをしていた。慎ちゃんのお父さんお母さんの、聞きたくない言葉が聞こえてきて、私はママの匂いのするタオルケットの中で小さく小さくなっていた。卵よりもアイスの実よりもさくらんぼよりも小さくなって、そのまま消えてしまいたかった。躯がちりちりと震えていて、震えが誰かにわかったら起きていることもわかってしまうから、だから、震えないように躯を硬くした。
「僕は理沙の父親です。理沙と二人で暮らしていきます」
慎ちゃんの、きっぱりとした声が聞こえた。慎ちゃんのお父さんが大声を出して怒り出した。テレビドラマの中に出てくる借金取りのおじさんのようで、私は怖くなった。暴れて家の中をめちゃくちゃに壊したり、慎ちゃんを殴ったりするんじゃないかと思った。
けれど、慎ちゃんは二言三言、静かな声で何かを言って、お父さん達を追い出した。胸のドキドキがおさまってから、私は薄目を開けた。ママのお骨や位牌、お花やお線香の上がっている前で、慎ちゃんは正座してうなだれていた。両膝の上に拳を置き、空気が震えていた。
慎ちゃんも私と同じだと思った。私はタオルケットを引きずり、慎ちゃんの側に寄った。慎ちゃんは微笑むと、私を膝の上に抱き上げたくれた。
私は五歳だったけれど、慎ちゃんに恋をするには充分な年齢だった。
―了―
〜「借金取り、お姫様だっこ、ウサギ」
何回か冒頭を書いている話があって、18歳の少女、血の繋がらない叔父か義父、その男を好きな女との三角関係の話。
三語で書こうとする度に、お題が流れて見送っていたのだけれど、今回は書けた。
と言っても、女を登場させたら三千字を超えちゃって、こりゃヤバイと思って、その部分は削除。
主人公の語りは、幼さを出したくて、最初は「あたし」としていたら、幼すぎたし、すれている感じもしてきて、「私(わたし)」に変更。この方が背伸びをしている感じが出てるかな。
前に、SBさんが「普段自分の書かないものを」という課題を出されていたので、女の対決!、みたいなものを書いてみたかったのだけれど。。。。。
続きをちょっと書いてみたい。