祥太郎は万年筆を原稿用紙の上に転がした。朝餉、と言っても起きたのは十時少し前であったから昼餉のようなものではあるが、を終えてからずっと机の前に座っていた。が、一向に筆は進まなかった。地方新聞に載せる、たかだか原稿用紙五、六枚の短い文章なのに、どうしても書き出すことができなかった。
思案していても何も進まない。
万年筆のキャップを締めると立ち上がった。衣紋掛 (えもんかけ)から羽織を下ろし袖を通していると、奥からトヨがやって来た。両手には握り飯と茶、香の物が載った盆があった。トヨは、外出の支度をしている祥太郎を見て、さして驚きもせず、盆を畳の隅に置いた。祥太郎の後ろに回ると、祥太郎が着るのを手伝いながら言う。
「旦那様の泥大島、ようお似合いですわ。遅くなるようでしたら、襟巻きもしていった方がよろしいのではありませんか」
トヨに言われ、改めて着物や揃いの羽織を見れば、なるほど、父の愛用していた泥大島であった。黒地に藍の色を重ね織りし、細かな亀甲詰め模様となっている。模様をじっと見ていると、眩暈のように揺れていき、祥太郎は目を閉じた。目を開けると、模様は微動だにしていない。
「襟巻き、どうされます?」
トヨに再度訊ねられ、祥太郎は慌てて答えた。
「そうか。じゃあ、用意してくれ。暗くなる前には帰ってこれるだろうが、万年筆のインクが切れそうだからね、ちょっと行ってくるよ」
インクは充分にあったが、何か口実がなければ家を出られなかった。祥太郎が文筆業を生業とするようになり、それまでは家事のみをこなしていたトヨであったのだが、いつの間にか、編集者の応対をするのもトヨの仕事となっていた。祥太郎の父が当主であった頃から、この家に住み込み働いてきた老女のトヨに、祥太郎は多少の後ろめたさを感じていたのだ。
自宅を出て、ぶらぶら歩くと、電停に辿り着いた。程なく、チンチンチンチンという軽やかな音と共に路面電車がやって来た。平日の昼下がりとあって、電車の中の乗客はまばらであった。紺地に白の水玉模様の半袖のワンピースを着た女が車両の後ろに座っていた。ちらと祥太郎は目を向け、あんな夏物では季節はずれもいいところだ、寒くないのだろうか、と思った。その瞬間に女と目が合い、女は唇の端を引き、艶然と笑った。しまった、と思った時は遅く、女は祥太郎の隣に席を移し、くどくどと身の上話を始めた。祥太郎は羽織の袖に交互に両腕を通し、俯き、眠った振りをした。大抵の場合は、こうしてやり過ごすことができる。
眠った振りをしながら、想いはいつしか、子供の頃へと向かっていた。
祥太郎の父は材木商の二代目として、莫大な資産を継いだものの、存命中に殆どを使いきってしまった。箱根に、外国人の建築士に設計させた別荘を建て、客人や芸者を寄せて花見だ紅葉狩りだと季節ごとに宴席を開いたり、当時としては珍しい自動車を購入して乗り回したりしたのだった。父の贅沢や酔狂は枚挙に暇ないが、極めつけは、サーカスをまるごと買い取ったことだろう。伊豆に敷地を求め、象やライオンを飼い、異形の人々を住まわせた。当時五歳であった祥太郎程の背丈の男、背中に瘤を負った老人、半身が接着している双子、そうかと思えば、縦も横も奥行きもある大女。そして、全身が白粉を塗ったように白く、瞳の紅いアルビノの青年。
祥太郎は父に連れられ、そこで半月ほど過ごしたのだが、最初は彼らの姿に怖れをなしたものの、共に暮らしていくうちに慣れていった。幼児であり、余計な知識がなかったせいか、暮らしていくうちに、彼らの話や芸に感嘆し、終いには彼らが異形なのではなく、何も芸事のできない自分が、むしろ異形のように思えたのだ。
父が何を考えて、自分をあの人々の中に紛らわせたのか、自死した父に尋ねる術はないが、少なくとも、表面の姿形だけで異形と決め付けなくなったことは感謝すべきなのだろう。
電車が終点に来て止まった。目を開けると、先程の女は消えていた。祥太郎は電車を降りながら、百貨店に寄り、トヨの好物の最中を買って帰ろうと思った。
[了]
〜「路面電車・アルビノ・水玉模様」
えーと、何がなんだか、わけのわからない話で(^^ゞ
一応、解説をしますと、時代は大正か昭和初期くらいで、祥太郎も、その父も、霊能力があった、ということで。
時代に関しては、テキトーなので、雰囲気でわかって〜。
ああっと、トヨは京都出身。雰囲気で(略
でもって、一箇所訂正。
×想いはいつか
○想いはいつしか
雰囲(略