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Author:芳野 朔
芳野です。自作小説と手芸、日々の雑感をたま〜に綴っていきます。尚、ここに投稿された小説の著作権は全て私、芳野にあり、他の文章はその筆者に著作権があります。無断転載・盗用等を禁止します。

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ヒキコモリーナの朝

夜、昼、ときたから、朝についても書かなくちゃね。

朝は7時ちょっと過ぎに起きるのだけれど、この「ちょっと過ぎ」というのが肝要で、7時前に起こされようなものなら、えらく不機嫌になります(笑)
かと言って、7時半を過ぎちゃうと大変なことになるので、7時ちょっと過ぎ、7時10分くらいで、部屋が暖かいのが理想〜。
このところ、寒いのでー。

ああっ、こんなことを書いていると、仕事もしてないうえに、かなりのグータランに思われてしまう(^^ゞ、でも、グータランには変わりはないから、ま、いっか。

で、起きてからは、ダッシュでラッシュでスマッシュですよ。
ものすごいスピード(当人比)で動き回り、お弁当作りをします。妻・母の味方の冷凍食品は殆ど使いません(エビグラタンとクリームコロッケ、枝豆だけは使うけど)。
でも、まあ、そんな豪勢なお弁当を作るわけでもなく、質素なものなんですけどね(・_・;)
で、8時15分くらいに家族を送り出し、ほっと、ひと息をつき、カロリーハーフのミルクティーを飲みながら『ちりとてちん』を観て、寝ますっ!

ヒキコモリーナの昼

脱ヒキコモリを目指して、昨日は外出した。
数日前、市内の短歌会で短歌を公募していたので、応募したのだが、その詠み合わせがあったのだ。
参加者にはあらかじめ、応募作品が郵送され(64首)、その中から共鳴歌を5首選び、当日の歌会の最後に得票数を発表する。
当日は、作者名の伏せられた短歌を、出席者が順に読み、その感想を述べた後、他の参加者が意見を交わした。こういった形で行われることは知っていたけれど、参加するのは初めてだったのでドキドキしながら席に座っていた。
64首の中には、上手いなあと思うものもあったし、いや、これは(^^ゞ、と思うものもあった。
1位を取った作品(13票)は、上手く書かれてはいたものの、内容は平凡でそんなにいいとは思わなかった。自分の一番好きな作品は2位だった(11票)。
で、芳野作品はどうだったか、と言うと。。。。。。。








2票ですよ。
そのうち1票は家人が入れてくれたので、票を入れてくれた他人は一人だけ。
ま、いっか(笑)
どなたか知らないけれど、投票してくださってありがとう〜。

2時間の予定だと聞いていたのだけれど、時間オーバーの3時間。
疲れた。。。。。。
歌会の1時間前に会場入りしていたということもあって(ギリギリだと駐車場が狭いので、車を停められないと思ったので)、なんだかとても疲れた。。。。
結局、その日の夕飯は鍋物にするつもりだったのだけれど、気力がなくなってしまい、ラーメンを食べに行った。
脱ヒキコモリへの道は険しく遠いと悟ったのだった。

ヒキコモリーナの夜

なんだかんだと忙しかった1月中旬であった。

忙しくなる前々日に、友人から電話があって、新春コンサートと飲み会に誘われた。その夜の翌朝は早い時間の汽車で札幌に行くことになっていたので、コンサートはパスして「カンパーイ!」だけに参加すると答えたら、軽く叱責され、「札幌行きの準備は前日の昼間にやるんだ!」と言われた。
まあ、それもそうだよな、なんとかなるかな、などと思い(勢いに流され?)、コンサートから参加することに。
ウィーン(だったと思う)から、女性歌手とミニオーケストラがやって来て、シュトラウスのポルカの演奏やサウンド・オブ・ミュージックやマイ・フェア・レディの中から何曲か歌ってくれた。
新春らしい華やかなコンサートで、今度、オードリーのマイ・フェア・レディをレンタルして観てみようかな、とも思った。
その後は、一人合流して女性4人で「カンパーイ!」となったのだけど。

彼女達とは、24、5歳の頃にバイト先で知り合った。
どんなバイトかを説明するのは面倒くさいので、そこらへんは端折るけれど、タウン誌を作ったのだよ。
今で言う、フリーペーパーで(でも、ちゃんとページ数はあった)、広告収入だけで作った。
広告取りもしたし、勿論、企画も記事書きも編集もやって、出来上がった雑誌を街頭で配った。
できなかったのは、写真撮影やグラフィックデザインだとか、そちらの作業。
多くの方々に協力してもらい、一部の方々に最初から最後まで支えてもらった。
そんな昔の思い出話をしたり、近況を話したりと、23時くらいには帰宅しようと思っていたけど、楽しかったものだから、ちょびっと時間オーバーしちゃった。

ああ、そして、痛感したのは、自分がいかにヒキコモリな日々を送っていたかということ。
皆結婚はしているけれど、私以外は働いているのよねー(一人は引っ越してきたばかりなので、今は無職だけど、就職活動を始めている)。
私は諸般の事情から(←こんな風に書くと、ナンカ仰々しい(^^ゞ いや、そんなにたいした事情じゃないデス)仕事には就けないのだけど、働かないまでも、社会に出なくちゃー、と思ったのだ。
外出先がスーパーと病院と家族の送り迎えだけ、というのは、いかにもヒドイよなあ(笑)

冬道はあまり運転したくないので(今日は大雪だった〜)、春になったら、図書館と何かのサークルを外出先に加えようっと。

『ミネルバの如く』

 乳房の上にひやりとした円の感触が置かれた。顔を伏せて聴診器からの音を聞いている藤一郎の姿を千代は見つめていた。上半身だけとはいえ裸身をさらしているのに、藤一郎は淡々と、むしろ事務的な様子で聴診器の先端の位置を変えていく。
 診察室の隅には達磨ストーブが置かれ、薬缶の湯がしゅんしゅんと音をたてて沸いていた。窓硝子は白く曇り、待合室との間には白いカーテンが引かれている。隔絶された世界の真っ只中に藤一郎と二人だけでいる。そんな思いが千代を大胆にさせた。
 聴診器が邪魔なのだ。
 藤一郎が指で乳房に触れてくれたのなら。聴診器も白衣もかなぐり捨てて、自分を抱いてくれたのなら、唇を合わせてくれたのなら。
「背中を向いて」
 藤一郎の静かな声が千代の思考を絶った。命令のような言葉に千代は従った。腰を軽く浮かせ、身体の向きを変えた。藤一郎の左手が左の肩に置かれる。左肩が燃えるように熱く感じられた。背中に聴診器が当てられているが、千代の意識はそちらにはなかった。
「胸の音が前よりも大きくなってますね。薬はちゃんと飲んでますか」
「はい」
 毎度繰り返される言葉であった。
「はい。もう着物を着ていいですよ。少し強めの薬を出しておきます。一日に三回以上は嗽をするように」
 藤一郎の左手は既に離れていた。診察が終わり、自分一人だけが取り残された気分だった。惨めな思いを抱いたまま、千代は立ち上がった。診察室の隅に置かれてある脱衣籠の前で、上半分を下ろしていた長襦袢を上げ、袖を通した。乾いた咳をしながら着物を羽織る。腰紐を結ぶ手を止め、千代は口を開いた。
「先生、ミネルバって何のことですか?」
「ミネルバ?」
 カルテの上を走っていた万年筆のペン先の音が止んだ。
 千代は巾着袋の中から一枚の紙を取り出して、藤一郎の机の上に置いた。新聞の切り抜きだ。藤一郎は手に取った。
「智を授け 我を鼓舞する 梅奴 翼広げし ミネルバの如く」
「その梅奴ってわたしのことですよね」
「ふむ。これは、市民文芸の欄だね。抒情的ではないが随分と情熱的だ。誰か、君の信奉者が歌を詠んだんだろう。ミネルバというのは希臘神話に出てくる女神の名だよ。知恵の神だ」
 千代は半幅帯を結び終えた。右手でほつれた毛を撫でつけながら藤一郎の側に寄った。
「お座敷のお客さんが遊び半分で歌を投稿されたことはありますけれど。そんな耶蘇の女神を歌に入れる方なんておりません」
 千代が唇を尖らせながら呟いた。藤一郎は耶蘇とは違うと言おうとして止めた。千代が何をしたくて、この歌を自分に見せたのか、見当がついたのだ。けれども一介の雇われ医者に何ができるだろう。
 海霧に覆われた陰鬱な町ではなく、空気の清浄な土地で千代と暮らせたら、どんなにいいか。だが、給料の殆どを郷里に送っている現状を打破することは、考えるまでもなく無理だ。料亭に通い詰めることも、ましてや千代を身請けすることなど夢の夢だ。
「あ、もしかしたら、あの方かも。ほら、新聞社に新しく入った記者さん。ここのころ、足繁くお座敷に通ってくださってるんです。いつもお連れの方と難しい話ばかりされて、わたしら芸者のことなんか見向きもしないのに。この間なんか夜更けにやって来て、お座敷に上がるなり高いびきをかいて眠ってしまったんですよ」
 藤一郎は再び記事に目を落とした。記者の話は藤一郎の耳にも入ってきていた。前任地で女性問題を起こしたとか、多額の借金にどうにもならなくなったとか、こちらに来て間もなく、知り合った看護婦と腕を組んで歩いていたとか、あまり芳しくない噂ばかりだったが。それでも、彼の書く署名入りの記事には熱き血潮がたぎり、藤一郎自身、惹かれるものがあった。
「贔屓にしてくれる客は大事にしなければね」
 藤一郎は新聞の切り抜きを千代に返した。
「ええ。言われなくても大事にします」
 千代は切り抜きを乱暴に引ったくると、診察室のカーテンを開けた。激しく咳き込み、懐紙で口元を押さえた。
「嗽を忘れないように」
 千代の背中に藤一郎の声が留まった。

   ―了―

〜「抒情・ミネルバ・夜更け」「作中に短歌を一首以上入れる」

 うん。実らぬ恋ですよ。

業務連絡です。

一度は使ってみたかった「業務連絡」の言葉。
業務にまったく携わっていないので、使う機会はないのですよ!

ええっとですね、

高菜さんへ 
昨年末にメールを送ったのですけど、読んでいただけましたでしょうか?
読んでいただけたのなら、それでいいのですけど、もしかして、年末のドサクサで届いてないんじゃないか、と心配になったものですから。

小日向さんへ
昨年末に二度目のメール(招待状)を送っているのですけど、届いてますでしょうか?
届いてないような気がするので。。。


以上です〜。

初詣

1月2日に、地元の厳島神社へ初詣に行ってきました。

私の住んでいる街は、駅から橋までを北大通というメインストリートがあり、橋から河口に沿うように南大通という通りがあります。明治から昭和初期くらい(?)は、南大通近辺が発展してました。その後は北大通り近辺が発展しましたが、今は寂しいことに閑散としております。
市役所やオフィスビルなどはあるのですが、商業地は東西の2地点に移ってしまいました。駐車場や広い店舗面積を確保しようとするのなら、北大通近辺では無理でしたから。地価も高かったですし。

さて、南大通(昔の名前は、真砂大通)から古き町に向かうと、高台に厳島神社があります。
坂道を登ると、神社の駐車場があるのですが、結構混んでまして、渋滞をしながら進みました。
神社に着くと、赤ちゃんのお宮参りにいらしていたご家族に会いました。
おばあちゃんの腕の中で、すやすやと眠っている女の子の赤ちゃん。可愛かった。
思わず、「おめでとうございます」と言って、赤ちゃんの顔を見せてもらいました。

本殿の前では、獅子舞も。
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お参りをして、おみくじを引いて、甘酒を頂きました。美味しかった〜。2杯、飲みましたとも!
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さて、我が街ゆかりの文人と言えば、石川啄木です。
啄木がこの街に来たのは、100年前の1908年(明治41年)1月21日。
滞在していたのはわずか76日間だったそうです。
今年は記念行事がいろいろあるそうなので、参加してみたいなあ。

当地で詠んだ歌が幾つかあるのですが、その中で好きなもの↓

一輪の 赤き薔薇(そうび)の 花を見て 火の息すなる 唇をこそ思へ

あけましておめでとうございます!

あらたまって、かしこまって、書くことは特にないのですが(^^ゞ、
今年もよろしくお願いいたします。


と、これだけではなんなんで、
以前、湖を見下ろす喫茶店(菓子店の二階)で、鋏で切って食べるピザの話を書いたのだけれど、その喫茶店へ行ってきました。
窓から見下ろす湖です。緑の濃い季節に行けば良かった(^^ゞ
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今回は、ツレが携帯電話で撮影してくれました。ツレが頼んだのは抹茶パフェ。
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で、私は、お汁粉。隣にあるのは、塩昆布です。
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食べ物系で終わった2007年でしたが、2008年が食べ物系で始まるなんて、なんて、なんて。。。。orz

ま、こういうのも、いいのさっ!  ←どこかで書いたような文。。。

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