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Author:芳野 朔
芳野です。自作小説と手芸、日々の雑感をたま〜に綴っていきます。尚、ここに投稿された小説の著作権は全て私、芳野にあり、他の文章はその筆者に著作権があります。無断転載・盗用等を禁止します。

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なんとか落ち着いた。

デスクトップPCがなんとか使えるようになりました。でも、まだ問題はたんと残ってます。

セキュリティソフトなんですけど。
今はノートンのお試し版を入れていますが、試用期間が終わったらどうしようかな。
ウイルスバスターは一つで三台のPCに使えるから、その方がいいのだけれど。というか、残り一台分があるし(一台目用ウイはリカバリする前のPCに、二台目用ウイはリカバリ後、ブラックホールに行ってしまった、三台目用ウイはまだインストールしてない)。ノートPCにもウイを入れるつもりだったんだけどなあ。

あ、顔文字は使えるようになりました。ほら、(^^♪

そういや、笑い話なんだけど。
電器店にハードディスクを持ち込んだ際に、いろいろと説明したら、修理受付担当者に「PCに詳しいんですね」と言われてしまった。
自分の行状というか、自分の能力というか、電器店に持ち込むまでのあれこれを考えると、とてもとても。。。冷や汗がだーっと流れていくようでした。

リカバリに出す前にバックアップを取っておこうとしたのだけれど、CD-Rが使えなくなって、フロッピーに入れました。でも、少ししか入れられなかった。
書きかけの作品は保存できたので、まあ、いいのだけれど。
画像や音楽が消えてしまったのは残念。

それと、お気に入りに入れていたサイトがなくなってしまったことも。
調べ物をして辿り着いたサイトが結構あって、たま〜に訪問してみたり、原稿を書き直す際にもう一度読み直そうと思っていた記事もあったのですけれど、はあ〜〜〜〜(嘆息

そうそう、ワードも最初から設定し直し。
これは簡単にできた。

今回のことで、唯一、得たものというのは、PCの設定が一人でもできる、ということかなあ。
最初にこのPCを設定した時は、電器屋さんにやってもらった(設置、設定、ラクラクサービス、とか、そういうので)ので、実を言えば、一人でできるのかな、と不安だったのですけど、大丈夫でした。
メールの設定やウイ他で時間がかかったけれど、ネット検索すれば、ちゃーんとやり方がわかるのですねー。
便利な世の中だなあ。

ヤフメを使っていたことと、ブログを持っていたことはラッキーでした。

まあ、こんな芳野であっても、少しはPCを使う技術(。。。?)は進歩していたみたいで、ハイ。

ウィルスバスターがインストできた!

何故だかわからないけど、インストールできた!
昨日のあれこれ悩んだ数時間はいったい何だったの!!
データは全部飛んでいた!!!

前は見ることができなかった筈(多分)のDVDが見えるようになったような気がするのは気のせい!?
画面の文字が滲んでいるのは気のせい!??

というわけで、これはデスクトップPCのキーボードで打ってます。


ハードディスクが戻ってきた!

接続もできた!
コードが一本余って慌てたけど、それはデジカメの写真を取り込む時に使うコードだった!!
わかるのに三十分くらいかかったけど!!!

ウィルスバスターのインストがうまくいかない!!!!
私のせいじゃない、よくあることらしい、電話をかけて訊かないと教えてくれないそうだから、それは明日!!!!!




ということで、これは、ノーパソから打ってます。

『豆腐』

 結婚した当初、私はほとんど料理ができなかった。独身の頃に料理教室に通ったこともあるのだが、三ヶ月しか続かなかった。講師の言うとおりに野菜や肉を切り、醤油やみりんを計量スプーンできっちりと計っても、出来上がったものを旨いとは思えなかった。私の中には味を感じる基礎ができていなかったのだと思う。

 私の父は林業に就いていたのだが、チェーンソウでアカマツを伐採している最中に事故で亡くなったそうだ。それから母が働いて私を育ててくれた。夕飯はいつも八時近く、母は慌しく帰宅すると、出来合いのお惣菜をパックのまま、ちゃぶ台に並べた。「十円引き」というシールのついたラップを剥がし、冷えたお惣菜や油やけしたフライを食べる。旨いとも不味いとも思わなかったし、それを感じる余裕もなかった。早く食べて早く片付けて早く寝なければ、翌日の朝が辛い。それに、疲れきっている母に訴えたからといってどうにもならないことを、子供心にもわかっていたのだ。
 朝はトーストと牛乳。日曜の夕飯には味噌汁や母の手料理を食べることができたが、味噌汁の出汁はインスタントの粉末だった。出汁は取るものだと知ったのは、高校の家庭科の授業でだった。
 私にとって、食卓はただ食事をするだけの場所で、ゆっくりと味わう場所ではなかった。
 その母も私が成人する前に亡くなった。
 
 結婚後も仕事を続けていた私は、忙しさを言い訳に手の込んだ料理をしなかった。しなかったのではなく、できなかったのだが、夫は何も言わなかった。生姜焼き、ハンバーグ、カレー。冬は湯豆腐や鍋物。夏は冷奴。誰もが作れて、失敗することのない料理。そんなものでも、なんとかなった。
 娘の麻由が小学二年生の春、姑と同居するようになった。
 姑が家事全般を引き受けてくれるようになり、私は随分と楽になった。私が分担した家事は食器洗いと洗濯だけになり、毎朝、煮干で出汁を取った味噌汁とご飯が食卓テーブルに並び、ほうれん草のおひたしやハムエッグが添えられた。娘は誰もいない家に帰宅することはなく、夕飯には和食が供されることが多くなった。
 姑の作る食事は美味しかった。
 味覚に鈍感な私でも美味しいと、本当にそう思った。
 でも、いつの間にか、食器棚の食器の位置が変わり、味噌や醤油の銘柄も変わっていた。たまに私が料理を作ろうとすると、他人の家のキッチンに迷い込んだようだった。
 夕飯時、夫は「これが食べたかったんだよ」と漏らし、麻由は「これ、ホタテの味がきいていて美味しいね」「今日の晩ごはん、おばあちゃんと一緒に作ったんだよ」と言った。姑はただ微笑んでいるだけだったが、私は自分の居場所がないような気がした。
 お惣菜のトレイが並ぶちゃぶ台であっても、温かい手料理が並ぶ食卓テーブルであっても、結局は何も変わらないのだと、そんなことを思ったりもした。
 
 そんなある時、食事をしながら麻由が「冷たいオトーフ、食べたいなあ」と言った。梅雨も明け、温かい料理や熱い味噌汁より、さっぱりとした料理が食べたくなってきたのだ。言われてみれば、姑は豆腐料理を出したことがなかった。姑は少し困ったような顔をして、やがて、ゆっくりと話しだした。
「おばあちゃんが麻由ちゃんくらいの頃かねぇ、おばあちゃんは奉公していたんだよ。奉公ってのは、その家に住んで朝から夜まで仕事をすることで、お休みの日なんてなかったね。働くのが当たり前、働かないでいられるのは、お金持ちのだんな様やその家のぼっちゃんか嬢ちゃんだけだった」
 姑が若い頃の話をするのは珍しかった。麻由は興味津々といった様子で姑の顔を見ていた。箸から焼き魚の身が落ちたことに気がつかないでいる。夫は黙々と食事を続けていた。
「おばあちゃんが働いていたお店は坂の上にあって、そこの坂はだらだら坂って呼んでいたんだよ。坂の下にある豆腐屋に、ようく豆腐を買いに行かされたものさ。毎朝、早い時間に鍋を持って豆腐屋に行き、引き戸を開けると、大豆の匂いがしてね。白と水色のタイルの流しには水がはってあって、豆腐が入っているんだよ。おじさんが水の中に包丁を差し入れ、するりと豆腐を切ってくれてね、水と一緒に鍋に入れてくれた。帰りが大変でね。鍋の水をこぼさないように坂を上っていくのだけど、どうしたって水はこぼれて、着物にかかってしまう。夏はいいけれど、冬や春先は泣きたくなったものさ。ゆっくりと歩いていけば、奉公先のおかみさんに「だらだらしてただろう」と叱られ、早足で歩けば水がこぼれる。だらだら坂がうらめしかったねえ。転んで豆腐をぶちまけたこともあって、おかみさんに叩かれたこともあった。あの頃の豆腐は今の豆腐と違って、硬くて歯ごたえがあったように思うねえ。あの豆腐をもう一度食べてみたい気もするけれど、もう食べたくないような気もして……。辛いことの方が多かったからね」
 姑は箸を置くと、両手を合わせ、ごちそうさま、と言った。味噌汁の椀に飯茶碗を重ね、自分の食器を片付け始める。
「作ればいいじゃん」
 麻由の言葉に姑の動きが止まった。娘は箸をぐるぐると回し、早口で言った。
「おばあちゃんなら何でも作れるから、オトーフを作ればいいんだよ。麻由も手伝うよ。お水の中のオトーフを切るところ見てみたいよ。ね、おばあちゃん、オトーフ、作ろうよ」
 呆気に取られたような顔をしていた姑は、すぐにくすりと笑った。
「そうだね、今度、一緒にお豆腐、作ろうか。麻由ちゃんが手伝ってくれるのなら、おばあちゃん、頑張ろうかな」
「うん、作ろう作ろう! おいしいオトーフをたぁくさん、作ろう!」
「……麦茶を、もらおうかな」
 今まで黙っていた夫が、こほっと小さく咳をして言った。
 私は「はーい」と返事をし、椅子から立ち上がった。

  ――了――

「冷奴、チェーンソウ、だらだら坂」「ストーリーを意識して」


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『光』

 がらんとしたオフィスで、俊也は写真の選別をしていた。テーブルいっぱいに夜景の写真が置かれている。一枚を目の高さに掲げてみたり、横から見ていたり、少し窪んだ目が充血していた。
 毎週金曜日、待たされるのが嫌になって、私はお菓子教室に通い始めた。卵と生クリーム、ラム酒やコアントローの香りの中で甘いお菓子を作り、出来上がったものを持って俊也のオフィスへ向かう。運が良ければ一緒に食事に出かけることができるけれど。

「俊也、まだかかりそう?」
 声をかけると、俊也はようやく私に気付いた。
「あ、いけね、もう九時過ぎてた?」
 私は右手に持っていたトートバッグを掲げた。
「うん。今日はね、バームクーヘンを作ったの。食べる?」
「お、いいね。佳奈子、この頃腕を上げたもんな。バームクーヘンって、ぐるぐる巻いている薪のケーキだろ、クリスマスに食べる」
「クリスマスに食べるのはブッシュドノエル、フランスのお菓子。バームクーヘンはドイツのお菓子。全然違うものだよ。お茶、入れるね。コーヒーでいいの?」
「ああ、頼む。少し濃い目にしてくれ。徹夜になりそうだから」
 私はコートを脱ぎながら、テーブルの上の写真を見た。
 夜景に浮かぶ高速道路。カーブの向こうには街並みが光の粒となって煌いている。走る車のライトは後ろへと流れ人魚の尾のようだ。幾千もの光の中から人魚はどうやって泳ぎ着く先を見つけるのだろう。どの光も似ているけれど、全然違うのに。
 ね、私は光に辿り着くことができるの?
  
「クリスマスにはブッシュドノエルを作るわね」
「あ、ゴメン。三十日まで仕事が入っている」
「じゃあ、しばらく会えないね。私、二十九日には実家に帰るから」
 早口で言い、キッチンへ急いで向かった。
「佳奈子!」 
 言い訳なんか聞きたくない。飲み込んだ言葉が私の心臓を打つ。
「正月には鳥取に行くから」
 俊也がやって来て私の腕を掴む。
「砂丘を、砂丘の写真、撮りたいって前々から思っていたんだ。ついでに佳奈子の親に挨拶もするから」
「……ついで、に?」
 私は顔を背けたまま呟いた。
「ちゃんと、ちゃんとするから。だから、そんな顔しないでくれ」
 後ろから抱きしめられ、私は小さく頷くことしかできなかった。

  ―了―

「人魚、高速道路、バームクーヘン」、「シリアスな展開で」


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左手首が痛い

十日くらい前に捻ったのか、左手首が痛いです。

どのくらい痛いのかと言うと、
おかずの載った中皿を左手だけで持てません。それよりずっと重い鍋などは(勿論両手を使うのですが)、右手に重みがいくようにして持ちます。
洗濯物を干す時、例えばTシャツは四つ折に畳んで左の手のひらに載せ、右手でパンパンッ!、と勢いよく叩いて皺を伸ばすのですけれど、それができなくなりました。
右の手のひらに載せて左手で叩いているのですけれど、あまり力を入れられないものだから、皺が伸びません。だら〜っとしたシャツをハンガーにかけて干してます。

手のひらを天に向け直角に曲げることができないので、ベテランのウェートレスにも、インドの踊り子にもなれません。
でも、話が思いついたので、小説は書きます。


お知らせ

えーと。
デスクトップのPCが壊れたようです(^^ゞ

これはノーパソで繋いでいるのですけど。
ウィルスバスターも入っていないし、ネットに繋げるの初めてなもので、いささか不安〜。

しばらく表には出ていかないし、書きこみも少なくなるかと思いますが、元気ですので。
どういうわけか、ヤフメも使えません。
パスワード、間違ってないはずなんだけど。。。


『冬の虫』への感想は、鍛錬場に入れられなかった場合、遅くなりますけどメールで送ります。
多分、それまでにはヤフメが使えるようになっているハズ。

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