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Author:芳野 朔
芳野です。自作小説と手芸、日々の雑感をたま〜に綴っていきます。尚、ここに投稿された小説の著作権は全て私、芳野にあり、他の文章はその筆者に著作権があります。無断転載・盗用等を禁止します。

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超短編

昨夜は楽しく、そして有意義にチャットができました。
皆さん、どうもありがとう〜。
超短編、面白いですね。

『恐竜』
目が覚めると、恐竜はまだそこにいた。

これは、モンテローソの作品で、有名なものだそうです。初めて知りました。

で、超短編、真似してみます。


『ひぇぇぇぇ〜』
キャベツを使おうとしたら、ブロッコリーが反乱していた。

『撤収』
指輪をオキドキに入れて、さあ、行こう。




作者による解説(^^ゞ

『ひぇぇぇぇ〜』
家人が仕事先から野菜を貰ってきたのですが、冷蔵庫の中が満杯だったのですよ。で、我が家で一番涼しい場所が玄関なのですけど、そこに置きました、ジャガイモや玉葱と一緒に(当地は寒く、今でも朝や夜はストーブをつけるので、と一応言い訳)。
ブロッコリーとキャベツが同じビニール袋に入っていたのですね。一本は早速お料理に使ったのですが、もう一本のブロッコリーが初めて見る形でスリムで背高ノッポさんでした。

で、キャベツを使おうと思って、ある朝、玄関に行って野菜の袋を開けてみると、ひぇぇぇぇぇぇ〜〜〜〜〜〜〜っ!!!


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一人称小説

『羊の葉結み』に投稿されている『グシャトウ』をめぐって、連夜、友人達とチャットをしているのですが。
私は、その作者さんの小説とは相性が悪くて、表面に書かれているものは読めるのですが、その奥は読めません。
その作品が小説であるのか詩であるのか、という話を一昨日行いまして、昨夜は、その続きから、小説とは何か、という話をしました。

皆さんにとって、小説とは何(何が「小説」たらしめているのか)でしょうか?
昨夜、面白いなあと思ったのは、それぞれの考えていることが違っていて、そして、それらに、なるほどなあ、と頷いている自分がいたことでした。

私にとって小説とは。
起承転結(または序破急)で構成されていて、テーマがあって、物語があること。

話は少し飛びますが。
手紙や遺書は小説ではない。
最近、野口英世の母の手紙を読んだり、海難事故にあわれた方の遺書を読んだのですが、読者の心を打つことはできても(物語や起承転結があっても)、小説ではないと思います。
それは、一人称で書かれていて、語りかけの相手が読者である(と錯覚できる)からだ、と私は結論づけました。実際には身内や知人に宛てたもので読者に宛てたものではないのですが。

手紙というと、『あしながおじさん』を思い浮かべるのですが、これは、主人公ジュディがあしながおじさんに宛てて書いている手紙であり、手紙形式の小説です。読者に宛てたものではないし、自分(読者)に宛てられたものであるという錯覚も起きない。

   えーと。
   説明が下手なんですけれど、理解できます?(^^ゞ


羊に投稿されていた作品を小説ではないと感じたのは、主人公の語りかけの相手が自分だと思ったから、と思い至りました。

私は頭が固いというか、オーソドックスなものから逃れられないというか、まあ、凡人なのですけれど。また、読書量も多くないし、読書傾向も決まっています。頭の回転が良いとは言えないし、とても狭い範囲でしか物事を考えられないのですが(と、言い訳を。きっと私が知らないだけで例外はたくさんあるだろうから)。

羊に投稿された作品を小説であるとか詩であるとか、分けるのはどうでもいいと思います。
それぞれが小説だと思えば小説だし、詩だと思えば詩だし。
(こんなことは鍛練場では言えません。「小説とも詩ともつかないものを書いてみました」みたいな作品が投稿され、それが完成度の高いものであればいいのですが、そうでないことの方が多いので)

自分が今とても気になっているのは、別な所にあって。

以前、二人称小説を書いて失敗したのですが(最後で一人称になってしまった)。
羊の投稿作品が、二人称の対極にある一人称ではないか、と思ったのです。通常の一人称ではない。
主人公の語りかけの相手は自分(読者)であると思ったからです。これには異論もあって、語りかけの相手は作中にいる、と、ある友人は言いました。


この一人称で書いてみたいと、ちょっと思ってしまいました。
うーん。詩や手紙にしないで、書けるのかなあ。

X Day

一昨日のチャットで、お見舞いの差し入れでケンタッキーフライドチキンを頂いて嬉しかった、という話からケンタを食べたいという話に
発展しました(ちなみに私は焼き鳥とたこ焼きを頂いたのが嬉しかった)。
しかーも!
そのチャットに参加していた三人で、同じ日(つまり今日)にケンタを食べて、それをブログにアップしようと話が纏まったのでした〜。
Oさんは写真を載せるだろうし、Kさんはチキン肌のオマージュかギャートルズ足への憧憬を書く筈だから(嘘)、私は一語即興文を書くことにしま〜す。
三元生中継!
というわけでもないのですが、それぞれのケンタ話、楽しんでくださいませ。
Oさん、Kさんへのブログは、リンクから飛べますので〜(しかし、イニシャルにする必要があるのだろうか、と毎度毎度……)。
(注:お二人ともお忙しいので、ブログにアップするのに少し時間がかかるかもしれません)

大事なことを忘れていた。
今日食べたのは、普通のケンタとアジアンスパイシーチキンです。アジアンは最初はあまり辛くないんだけど、後からじわじわと辛さがやってきました。ライムの香りが良いです。


『ケンタウロスの悩みは続く』  お題「ケンタ」

 藤原先生って、どうしてこう、いつもいつも変なことを考えつくんだよ。
 今度の宿題は、「自分の名前の意味」だってさ。お父さんやお母さんが、子供の名前にどういう意味をこめてつけたのか、聞いてきて、明日の国語の時間に発表するんだ。明日は参観日だから、先生も張り切っているのはわかるんだけどさー。
 
 夕飯を食べながら、その話をすると、お父さんたらビールを噴き出してさ、お母さんにすごい顔で睨まれていた。お母さんは僕に納豆とネギの入った小鉢を渡しながら、にこにこして言った。
「それはね、健太の生まれた日が十一月三十日だったからなのよ。いて座でしょ。いて座はケンタウロスの星座だから、そこからケンタって取ったのよ。いい名前だと思わない? ロマンチックだし、外国の人にもすぐに覚えてもらえるし」
 僕はそんなもんかなあ、と思いながら、カップの中の納豆を箸でぐるぐるにかき混ぜた。ネバネバが白くなるまでかき混ぜて、それから小鉢に入れて、ネギと一緒にかき混ぜる。それからタレを入れてもっとかき混ぜるんだ。これは給食の時間に藤原先生が教えてくれた。
 お父さんは、う、うんっ、と咳払いした。
「ちょっと待て。そいつはマズイんじゃないのか?」
「なによ、なにがマズイって言うのよ?」 
 お母さんがちょっと怒ったみたいに言う。お父さんはビールのコップを置いた。
「ケンタウロスってあまりいいヤツじゃないぞ。乱暴狼藉を働いているし、第一、あの姿は、う、うんっ、まあ、あれだ、正直に話した方がいいんじゃないのか」
「正直? 何を言い出すのよ、私はいつも正直に話してますっ! 子供の前で変なことを言わないでよっ! いい、明日は参観日なのよ、名前にこめられた願いを子供達は発表するのよ、みんなの前で、」
「あー、そうだな、あ、健太、お父さんにも納豆をとっといてくれよ」
「ちょっと、聞いてるの!?」
 お母さんが喋りだしたら止まらないんだよ。でもって、お母さんは自分の話を聞いてくれないと怒りだすんだよ。まったく、お父さんはわかっているくせに、いつもこうなんだよなあ。もっと上手くやらなきゃ。
 僕は納豆をごはんの上にかけた。
「ねー、本当は、どういう意味があるの、健太にさ」
「おまえがお母さんのおなかにいた時にケンタッ」
「健康で太ってる子になってほしかったからよっ!」
 お母さんが叫んだので、お父さんの声がよく聞こえなかった。僕はお父さんとお母さんの顔を見比べた。
「まあ、確かに、健康な子で生まれてきてほしいと願ってはいたな。そうだな、健太のケンは健康の健だよ」
 お父さんはにこにこ笑いながら言った。
 そんなもんかなあ、と思ったけれど、まあ、いいか。


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明日は X Day ぢゃ!

ヒントは!!!

コバルト

 アクセス解析を付けているのですが、サーチワードの項目があって、皆さんがどんなワードで検索して吉野町に来てくださったのか、見るのが楽しいです。

 その中で、コバルト関連のワードで検索されている方が多くいらっしゃいます。えーと、吉野町は訪問者が少ないので、割合にしたら多いのですよ。(^^ゞ

 でも、せっかくいらしてくださっても、きっと、「あれ、なんか違う」と思われてすぐに閉じてしまわれているんじゃないかなあ、と。
 
 そういうわけで、新しく『コバルトなど』のカテゴリーを作りました。
 来月から定期購読でコバルトが届くし〜、『風の王国』の図書カードも貰っちゃうし〜。
 そもそも定期購読を申し込んだのは、桂環さんの小説が三号にわたって連載されるからで。
 今までも、殆ど毎号、書店で買っていたので、定期購読しても同じだなあと思いまして(ちなみに、辺境の地に住んでいるので、発売日の翌日でないと雑誌類は手に入らないのですよ)。

 ということで、コバルトや少女向けのラノベに興味のない方には、読んでいてもあまり面白くないかもしれませんが、まあ、これも芳野の一面ということで、寛大なお心でお付き合いください。


 さて、記事が中断してしまいましたが。
 今、あさのあつこさんの『NO.6』を読んでいます。
 あさのあつこさんは『バッテリー』で有名な児童文学の作家さんで、他にも『THE MANZAI』や『福音の少年』を書かれていますが、こちらは未読。『福音の少年』は読みたいのですけれどね。
 
『NO.6』は講談社のヤング・アダルトの新シリーズ、
『YA! ENTERTAINMENT』から出されているのですが、ノベルスサイズ(でいいのかな?)です。
 で、この『NO.6』。
 まだ途中までしか読んでいないのですが、少年向けのラノベ、という感じです。いや、少女もおねえさんもオバサンも読んでもいいのですけど。

 ライトノベルや児童文学の定義をするつもりは全くないのですが、境界が曖昧だなあ、と思います。
 小野不由美さんの『十二国記』は、当初、講談社のホワイトハートという少女向けのラノベのレーベルから出版されました。
 その頃の私は、ホワイトハートは少し大人向け、コバルトは十代向け、というように感じていました。
 ホワイトハートにも新人賞が年一回公募されていて、最優秀作品などは出版されていました。今は期限なしで送るようになっているみたいですが、最近、ホワイトハートの本は読んでいないので、詳細はわかりません。

『十二国記』は本当に素晴らしくて、ラノベでも児童文学でもなく、ファンタジーというジャンルに入るのだと思います。
 日本にファンタジーはあったはずなのに、ファンタジーという言葉は外国から入ってきたんですよね。

 あー。ダメだ。難しいことはわからん。


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梅雨というわけではないのだろうけれど

昨日から雨が降り続いています。
何もやる気がおきないです。
五月は結構張り切っていて、部屋の片付けからバッグ作りから、まあ、いろいろとやっていたのですが。
六月になってから、あまり頑張ってないな。
本は積んであるんだけど、読むのはストップしているし。
インクと紙は買ってあるんだけど、(略





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えーと。。。。(^^ゞ

某所で、「結構長くやっているよね。」と書かれてしまった。
私、小説を書くのを再開してから三年で、ネットに小説を投稿するようになってから二年なんですけど(最初の一年はPCがなくてワープロで書いていたので)。
う、うーん。長いのかなあ。
そ、それとも、これだけ長くやっても結果を出せないでいる、ってことなのか。いや、それは本人が重々わかっていることなんだけど。

まあ、小説、読むのも書くのも好きだからいいんだけどさあ。
けどさあ、さあ、さぁ、ぁ。。。。。

いやはや

このブログのサブタイトルに『小説と手芸の日々』とありますが、私、手芸はあまり得意ではないです。
ミシンを使って縫うのは、簡単な洋服が多いですね。
一番好きなのは、フリフリふわふわのドレスを縫うことです。でも、滅多に縫わないし、一枚縫うのにとても時間のかかるものなので、ブログにアップするのは難しいかなあ、と思い、『手芸』にしたのでした。

手芸にほんの少し目覚めたのは、数年前、友人から教えていただいた花の作り方ですね。
その時は、花のついたバッグやポーチ類を教えていただいたのだけれど、花はいろいろに応用がきいて、エプロンや洋服、靴につけると可愛いくて華やかになるのですよ。
リボン状にカットした布に巻きロックをかけてギャザーを寄せたり、花びらを一枚一枚縫って繋げたり、レースやリボンを使うのですけれど。
ええ、そのためにロックミシンも買いましたし、レースやリボンの在庫も増えました。

在庫といえば、我が家には布の在庫がたんとございます。
「あ、これ、カワイイ!」「今買わなきゃ、次に来た時には無くなっている」という心の叫びに抗しきれず、買い貯めたものが、たんと。。。

布を買う時は2メートル単位で買うことが多いのですが、ビニール袋の中に4枚から5枚の布を入れて置いてあるのですね。家のあちこちに。
それが10袋くらいあそこの部屋の床に置いてあって、クローゼットには15袋くらい。押入れには5袋くらい。でもって、こっちの部屋には床に10袋くらい、押入れに5袋くらい(注:「くらい」というのは正確には数えていないから、眩暈がしてきそうで)
で、合計すると、45袋くらい。
1袋に入っているのが4枚として8メートル。
となると、全部で360メートルくらい。


良かった♪
400メートル未満でっ!


これらを、2年間で80パーセントは消化しようと思っているわけですよ。
布の中には、今でも可愛いなあと思うのもあるのですが、なかには「どうしてこんなの買っちゃったの?」と思う布もあって、困るのはこういう布の始末です。
で、この間、すごーく良いアイデアを思いつきました。


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あれこれ

これまで、その時々の自分の書きたいものを好きに書いてきました。
対象となる読者の年齢層もさまざまだったけれど、誰に一番に読んでもらいたいのかを意識して話を作っていたと思います。
『人魚』は自分のために書いた作品ですね。

他の方の作品を読んで、「ここがちょっと駄目なんじゃない?」と思った時は感想は書けるのですけれど。
「上手いなあ」「面白い」と思っても感想が書けない時があります(勿論、ガーッと感想を書きたくなる時もあります)。
これが「情感の共感」がない、ということなのかなあ、と。

昨夜のチャットで、「自意識の海に耽溺している」という言葉を聞いて、ヒヤヒヤしてました。
私のことを指して言われたのではないのですが、なんとなく、自分にも当て嵌まるような気がしたのでした。

さてさて。
書くことに戻ります。

『人魚』  (原稿用紙11枚)

 母の卵巣には髪の毛が一筋、入っていた。
 胎児の形にすらなれなかった母の、姉。

 初めてその話を聞いたのは私が十九になった次の日だった。

 十九の誕生日、私は恋人と出かけた。街のレストランでワインを飲んで食事をして、海までオートバイを走らせた。お尻にオートバイの振動を感じ、スカートの裾が翻る。私は恋人を背中から強く抱きしめていた、ずっと。
 振り落とされないように。
 理由があったから、胸が潰れるくらい躰を寄せていても恥ずかしくはなかった。恋人は傷病兵の知り合いから譲ってもらった革のジャンバーを着ていた。使い込んだ革は所々ひび割れてオイル臭かった。
 よぎる風に潮風が混じり、私達は海に着いた。人気(ひとけ)のない海は寒く、ワインの酔いはあっという間に醒めた。木綿のワンピースにカーディガンだけの私はかたかたと震えた。恋人は革のジャンバーを脱いで私に着せてくれた。大きな手がチャックを引き上げる。襟元までくると、指先は私の喉をなぞり顎を軽く持ち上げた。何かを言おうと口を開きかけた時、恋人は顔を屈めてキスをした。
 私達は手を繋いで砂浜を散歩してキスをして、岩陰で煙草を吸った。最初は咳きこんでいたけれど、月が真上に昇る頃には上手く吸えるようになった。ワインの香りも料理のスパイスも消えてしまい、舌には紙が貼りついていた。顔をしかめて口の中で舌を動かしていると、舌を出して、取ってあげるよ、と恋人は笑いながら言った。子供のように少しだけ舌を突き出すと、恋人も同じように舌を突き出してきて、私の舌の先に触れた。それから舌を絡めてきて、私達は抱き合って長いキスをした。
 時間が過ぎて、私達はオートバイに乗った。
 家に向かうのは、行きのように楽しくはなく、私はずっと黙っていた。潮の匂いは消えていった。
 善良な人々が暮している住宅街では、オートバイの排気音は爆撃の音のように聞こえる。家のずっと手前で私はオートバイを降り、歩いた。恋人が見ていてくれるのがわかっていたから背中がくすぐったくて、でも嬉しくて。恋人が見ていることを振り返って確かめたいけれど、そうするのは愛情を疑うような気もして、だから私は背筋を伸ばして少しでも綺麗に見えるように歩いた。家に着いて、ポーチの階段を上ったところで振り向いた。恋人はオートバイに跨ったまま、こちらを見ていた。街灯は暗くて顔は見えなかったけれど、表情は見えるような気がした。
 安心したように微笑んで、少し眠たげで。頭の中では何時間眠れるか考えているにちがいない、きっと。
 駆け寄って抱きしめたかったけれど、そうしたら、恋人はいつまでもベッドには辿り着けない。工場の朝は早いし、寝不足で仕事をすれば指を切り落とすような事故がないとも限らない。
 私はドアを開けて大きく手を振った。恋人はオートバイを軽くふかしてから去っていった。

 家の中はひっそりとしていた。無理もない、善良な父母は熟睡している時間なのだから。私は靴とソックスを脱ぐと、裸足でキッチンに向かった。喉がとても渇いていて、レモネードか冷たい水が飲みたかった。
 テーブルの上には紙包みと帽子の函が伏せて置かれていた。両手で函を持ち上げると、丸いバースディケーキがあって、チョコレートで私の名前とハッピーバースディの筆記体の文字が書かれていた。お城の尖塔のような生クリームの飾りは、蝋燭のように溶けて崩れかかっていた。私は人差し指で生クリームを掬って舐めた。砂粒のようにざらっとした感触があって、舌を出して指につまんでみると銀のアラザンだった。
 紙包みは見なくてもわかっていた。母が縫ったワンピースだ。水色のギンガムチェックの生地で胸の上にはスモッキング刺繍がされているのだ。生地を縦長に何本も平行してつまみ、山と山とを刺繍糸でクロスしたり横に渡したりして縫い繋げていく。とても手のかかる仕事だけれど、棒のついた飴の好きな子供向けのものだ。
 どうしてわからないのだろう。
 私は、お手製のケーキよりも洋酒のきいたタルトが好きだということを。
 スモッキングで胸をふんわりと見せる洋服よりも、ハリウッド映画の女優が着ているような、ウエストからダーツの伸びているグラマラスな洋服の方が好きだということを。
 私は十九で、十や十一の子供じゃないのに。
 冷蔵庫からガラスのピッチャーを取り出し、グラスにレモネードを注いで飲んだ。舌に残っていた恋人と生クリームの甘さが溶けて流れていった。

 翌朝、ベッドの中で眠っていると、母が起こしにやって来た。おはようの挨拶と額にキスをして、母はそのままベッドの端に腰掛けた。私は眠そうな振りをしたけれど、母は立ち上がろうとしなかった。俯いて自分のおなかに両手を置くと、突然、自分が十九の時の話を始めたのだ。
 おなかが急に痛くなって出血したこと。祖父は馬の買い付けに行っていて家にはいなかったから、祖母が車を運転して近くの病院へ連れていったこと。田舎の病院で設備もろくになく、医師は若く経験が浅そうで、子宮外妊娠のようですね、という言葉に祖母が激昂したこと。両脚を広げて診察台に横たわるのがとても恥ずかしかったけれど、おなかの痛みはそれよりも強く、早く手術が終わって欲しいと思ったこと。部分麻酔だったから、医師の声や器具のカチャカチャという音が聞こえていたこと。取り出した卵巣は腫れていて、その中に髪の毛が入っていたこと。髪の毛は双子の片割れのもので、手術後、標本にしていいかと医者に訊かれ、母や祖母は同意したこと。
――母さんはおまえの父さんと出会って結婚してから、おまえを産んだのよ。お願いだから自分の躰を大事にして。父さんと一緒にバージンロードを歩いてほしいのよ。もう子供じゃないのだから、母さんの言っていることがわかるでしょう?
 母はそう言うと、やっと部屋を出て行った。

 私は腹立たしかった。
 母は私に純潔を求めているのだ。できることなら、スモッキング刺繍のように、私の襞をつまんで縫いたいと思っているのかもしれない。
 私は子供じゃない。

 翌週、恋人の夜勤明けの日、私達は愛を交わした。終わった後に、まだ中に何かが入っているみたいで痛いわ、と言うと、恋人は笑ってキスをしてくれた。
 目尻にできる笑い皺と、煙草の匂いがする唇と、ごつごつとした大きな手と。
 私は幸福だった。

 そして恋人が徴兵、された。

 最初の手紙には毎日塹壕を掘っていること、雨が降っていること、私に会いたい、と書かれていた。
 二通目には、私の作るピーカンナッツのクッキーが食べたい、またオートバイに乗って海に行こう、愛している、と書かれていた。
 三通目の手紙は恋人と同じ部隊にいた人が届けてくれた。その人は下腹部に被弾して、国に送還されたのだ。怪我が治ってから訪ねて来たので、半年過ぎていたけれど。
 手紙には、これから前線に移動すること、必ず帰るから、帰ったら結婚しよう、と書かれていた。

「何をしてる?」
 背中から声をかけられ、両手が私のおなかに置かれた。顎が私の頭の上に載せられる。
「ドレッシングの分量を度忘れしちゃって、思い出そうとしていたの」
 私は小さく答えた。
「そう? 玉葱のみじん切りは入れないでくれよ」
 夫は指の腹で私のおなかを軽く押すと、私から離れていった。ホルン奏者の夫は私を楽器のように扱う。
 夕暮れの淡い空気の中、フレンチホルンの金色が輝く。夫はマウスピースを口にくわえ、指の腹でレバーを押す。蝸牛のような渦巻きから穏やかな音が響き、部屋に満ちていく。

 私は最後の手紙を届けてくれた人と結婚した。
 若くはなかったから、人魚の尾のように膝から裾にかけて広がっている細身のウエディングドレスを着て、父の腕に手をかけ教会のバージンロードを歩いた。
 その時からずっと私は歩き続けている、母の望みどおりに。


 私は時々考える。
 母の姉は髪の毛だけを残して、胎盤と一緒に流れていったのだろうか。
 それとも母の躰の中に腕や脚や子宮を溶かしていったのだろうか。

 私は時々考える。
 取り出された髪の毛はどこにあるのだろう。
 大学か病院の地下室の棚にホルマリンの入ったガラス瓶に入れられ、置かれているのだろう。
 標本が次々に運ばれてきて、ガラス瓶は隅に押しやられていたとしても、埃を被って中が見えないくらい曇っていたとしても、ホルマリンの中、髪の毛はゆらゆら漂っているに違いない。

 私は時々考える。
 散った恋人の躰はどこにあるのだろう。

 私は時々考える。
 母の姉が母の卵巣にいたように、私の恋人は私の卵巣にいる。
 私の卵巣が痛み取り出す時がきたのなら、私は標本を作ることに同意しよう。
 ホルマリンの海をゆらゆらと泳ぐ恋人を私は、抱きしめる。

 ――了――


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『次郎と人魚』

 早朝、ホルンの音が灯台から響く。
 それが合図となって女衆も年寄りも子供達も家々から一斉に飛び出してくる。船が戻ってくるからだ。
 村人達が浜に出て船を迎えている間、次郎は、けして浜には近づかない。男衆の怒鳴り声、女衆の笑い声、大人も子供も年寄りもざわめきながら、網からはずした魚を捌いたり、もっこで運んだり。子供達は昆布を干すのだが、そこには次郎の居場所はない。
 それもこれも、次郎の兄、一郎のせいだった。
 数年に一度、赤潮がやってくる。海の色が夕陽のように真っ赤に染まり、魚は死んでいく。
 海神様がお怒りじゃ、花嫁を差し出して、お慰めしなければ、老巫女はそう言い、村一番の器量良しのサヨを選んだ。だが、嫁入りの前夜、一郎はサヨと二人で村を逃げ出してしまったのだ。
 サヨの代わりに別な娘が花嫁となったのだが、村人達は次郎母子を許さなかった。
 なんも辛かねぇ、と次郎は母に言うのだが。
 辛くはないのだが。

 ざわめきを背にして、次郎は人気のない浜を目指す。
 寄せる波音を聞きながら岩の上をひょんひょんと歩いていくと、猫の鳴き声が聞こえてきた。
 猫がこんな海の近くまで来るはずもなく、次郎がきょろきょろと辺りを見回すと、岩の陰から、さらに強く鳴き声がした。近寄ってみると、そこにいるのは小さな裸の赤ん坊だった。吃驚した次郎がすぐさま抱き上げると、脚はなく、魚の尾が銀に光っていた。人魚の赤ん坊は嬉しそうに尾を振った。腕の中でぱたぱたとするものだから、次郎は赤ん坊を落としそうになり、しっかりと抱いた。
 赤ん坊は口をすぼめ、せわしなく動かす。どうやら乳を探しているらしい、そう思った次郎はそっと自分の指を赤ん坊の口の中に入れた。赤ん坊はちゅうちゅうと吸うが、じきに、そっくりかえって、今度は大声で泣き出した。
 よしよし、飴でもあればな、おまえにひもじい思いをさせることもなかろうに、次郎はそう呟きながら、赤ん坊をあやした。

   ―了―


「人魚、飴、ホルン」
「大勢の人間が集まっているシーンを入れる」


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自己犠牲に関して、あれこれ

 人の死ぬ話はあまり好きではないのだけれど、書くのは好きみたいで、よく書いている(何故書いているのかってのは、また後日……たぶん)。

 自己犠牲の話も多く、もっぱら、犠牲になる側からの話を書いてきた。
 残された人や人々のことを書かなかったのは、本人が<親しい人の犠牲の上に自分の生がある>というのを知らない場合もあるし、小説の終わり方を考えると、そこまで(残った人々の心情)を書いていては、だらだらと続いていって、いつまでも終わらないんじゃないかというのもあるし、一番大きな理由は、美しくて、きっぱりしたラストが欲しいからだろう。

 美しくて、きっぱり。
 う、うーん、欲しいわりには書けてないような……(^^ゞ

 またしても、『慶英の灰色』の話になっちゃうんだけど。
 これは、残された人(千以)側の話。
 不満(!)を言えば、千以のその後があっさりと描かれていること。でもこれは、「即興」で書かれていることや字数制限(!)を考えたりすると、こんな風に要求するのは酷というものです、はい、わかってるんだけど〜。

 で、何を言いたいのかっていうと、おづねさんが感想返しの中で書かれていた言葉。ご本人の了解を得ましたので引用します。

>自己犠牲というのは、一面、他人の気持ちをも犠牲にしているところがあると思うのです。相手に背負わせているものの大きさを思うと。でも、そうであってもなお動くということに重みがあってくれたら……なんて、物語に対して望んでしまいますね。

 残された者に残される重さ。確かに。
 自己犠牲は美しいのだろうけれど(誰かのために、という想いが美しい)、それを受けた方は、そのまま素直に生きてはいけない筈だ。
 犠牲になる側は、相手に感謝されたいとは思わないし、負担に思っては欲しくないだろうけれど、そうはいかないだろうな。
 
 小説を書く際に、私は登場人物になりきったり(当たり前?)、身近な人と重ね合わせて(こんな時、あの人だったらどんな風に考え、行動するだろう等)みるのだけど。
 誰かが死ぬとして。
 で、仮に私だとして(こうすると考えやすいので)。
 死んでしまった後に、何も残らないというのは寂しい。
 自分を覚えていて欲しいという気持ちは勿論あるけれど、それ以上に、残した者達へ何ができるのだろうか、何をするのが最善だろうか、と考える。
 
 鍛練場投稿作を思い出せば、小説であったり、遺書の中で託したり、最後の結びつきであったり、と、何かしら、残していく者達へ、自分の想いを、彼らを大切に想っているのだという心を形にして残していた。

 昨夜、おづねさんに「自己犠牲の話を書く際に、気をつけていることは?」と訊かれて、その時はすぐに思いつかなかったのだけれど。改めて考えてみると、「自分の想いを形にして残している」ですね。

 さて、プロットとだけ考えていた話がある。少年が少女の身代わりになる話で(昨夜書いた三語に少しそれを混ぜている)、生き残った少女が叫ぶというか、やり場のない怒りを持つ、でラスト。きっぱりとしたラストなんだけど、うーん、場景描写をする力がなければ書けないんだよなあ、いつまでたっても……。

 ということで、いつものとおり、だらだらと、纏まりのない話となってしまいました〜。 

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